珍しくまじめな話

先日友人と仕事の話をしていて、
「私は感覚で作るけど、ゆかりちゃんは論理的に作っているよね」
というような話になった。
元の性質は、公私ともに直感・感覚派で、全くそんな認識はなく、
実際に手を動かしているときは、感覚で描いているけど、
ただお仕事の規模が大きくなり、責任のあるお仕事を任されれば任されるほど、
確かにそれだけではやっていけなくなってきたなあと思う。
例えば、「ここに可愛いクマのイラストを描いて」
というオーダーがあったとして、
特に指定がないのなら、感覚で可愛いクマの絵を描けばそれでOKだと思う。
でも、例えばそのクマを
ある企業のキャラクターにして、グッズやポスターなどで販促し、ストーリーも付けたい、
となった場合、
「グッズを作るなら分業が前提だから、誰が関わっても変わらないようなタッチにしよう」
「企業のカラーを踏まえたキャラクターにしよう」
「ストーリーを付けるなら、クマ一匹では会話が成り立たないので、サブキャラを作ろう。
その場合は、キャラクターの個性が被らないように、性格分けをしよう。ペット的なキャラがいても面白いかも?」
など、大きな枠組みを論理的に考える必要がある。
ここで「可愛いから」「このタッチが好きだから」と感覚のみで進めていったら、
(もちろんそれもとても大事で、最終決定は直感が一番だったりするけど)
そのプロジェクト自体が破綻するかもしれない。
多くの人が関わって、お金も動いている中で、
「何としても完成させる」のが一番重要であり、
そのために、苦手な論理的思考を何とか使って、私はやってきたのかなあと思った。
こんな真面目な話を、
みたらし団子と、たけのこの里を交互に食べながら書いています。
元の性質は、そうそう変わるものではないなあと思う、初秋の日^ ^

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です